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MO'SOME TONEBENDER
(モーサム・トーンベンダー)

百々和宏:モモ カズヒロ (Vo,G)
武井靖典:タケイ ヤスノリ (Screaming,B)
藤田 勇:フジタ イサム (Cho,Dr)


『'97年福岡晩秋』
首謀者はVO、Gの百々。バンド仲間であり飲み仲間であったDr藤田を誘い、Baは二人で行ったイベントで明らかに異質な匂いを漂わせ、雄叫びを上げる武井を発見。直ちに誘い込み、スタジオに入る。
『土台』
雰囲気、性格、音楽的趣向のまるで違う3人は目標を持たない。そして音楽性に関して縛られない。ただ彼らは最初に一つだけ相談して決めたことがある。それは「最初の一音で周りの景色、雰囲気を変えられる音を出そう」と。
『芽生え』
'98年になるとバンドは天神ビブレホール(福岡)、黒崎マーカス(北九州)を中心にライヴを始めて行った。それがプロのツアー・バンドの目に止まるのに時間はかからなかった。壮絶なテンションのライヴは噂になり、次第に東京のバンドがツアーで北九州に上陸した際、彼らを対バンに指名することが多くなり始める。この時期初めてカセットで音源を制作。流通はせず、近しい仲間にのみ配布あるいは小銭と引き替えられた。
『成長』
'98年末~'99年、自主イベントなども地味に展開し始め、東京へも自身でツアーを組み始める。この時期、\500で初の売り物音源としてカセットを制作。ライヴの度、50本単位で売り切り、トータル・セールス800本程度を超えた辺りでメンバーのダビングのやる気が失せ廃盤。
『成長2』
初のCD作品はカセットを制作した時と同じ状況で作られた。閉店後の練習スタジオに忍び込み、全て一発録音。マイクとミキサーと楽器とメンバーが8畳ほどの部屋でぶつかり合い格闘して制作。'99年暮れに発売(QUATTRO/UK DISCSより)。 音の悪さと何となく伝わったロックな気合で話題に。そのリリースに前後して、定期的に大阪~名古屋~東京とツアーをするようになる。因みに2000年、機材車は1年で約50.000Kmという走行距離を記録。
『旅立ち』
作品、ライヴと回を重ねるごとに評判、動員を増やしていった彼ら。初夏にはEL-MALOの會田氏率いるFOEとスプリットをリリースし、合同ツアーも敢行。その後のライヴ展開も初のfull album「DAWNROCK」(ドゥオーン・ロック)のリリース後、初めてのヘッドライナー・ツアーを組み(54-71というバンドとのスプリット・ツアー)、成功を収める。そこまで、全国ライヴ行脚、東京でのレコーディング、取材など、全て福岡に住みながらの生活であったが、'02年2月末、一念発起した彼らは、布団と楽器だけを携え、東京に居を移した。そして4月には実質最後のインディーズ作品となる「echo」をリリースした。
『原点回帰、挑戦』
2002年、彼等は結成当初から大切に磨き続けて来た楽曲「未来は今」を再録。過去に発表した楽曲ながらまさに今その瞬間の輝きを吹き込んでさらに大きなものになっていった。しかし、果敢な冒険心も忘れることはなく、たて続けに「idiot / LAKE SIDE」を発表。特に発明と呼ぶに相応しい「LAKE SIDE」のビート感は、ロックが本来持っているはずの新しい可能性を切り開いていくという使命を、しっかりと全うしていると言えるだろう。

* 「JAPAN CIRCUIT ?vol.4-」出演。
* 「ROCK IN JAPAN FES.2001」出演。

日程――2003年8月1日(金)、2日(土)、3日(日)
時間――開場9:00 開演11:00 終演20:30(各日共予定)*雨天決行(荒天の場合は中止)
会場――茨城県ひたちなか市国営ひたち海浜公園
お問合せ――ROCK IN JAPAN FESTIVAL事務局
0180-993-611(24時間テープ対応、PHS不可)
ロック・イン・ジャパン・フェスティバルのWEBサイトは、PC、携帯どちらもhttp://www.rijfes.co.jp/